大正3年(1914)無名の発明家竹内善次郎の「ベント式金庫」と、石田仁蔵・音三郎親子の考案した「ゼニアイキ」(レジスターの先祖)をセットで売りだした大阪の「伊藤喜商店」社長 伊藤喜十郎は、利益のすべてをさらに新しい商品開発に投入しました。
(1)山本竹次郎の強力水揚機。(2)堀井新治郎の謄写版(とうしゃばん=ロウびきの原紙に鉄筆で字や絵を書き、印刷インクで刷る道具)。
(3)田沼のかつおぶし箱型けずり器。(4)石田親子の万年筆と文具箱。
等が販売され、世間はそのたびごとにあっと声をあげ、アイデアに感心します。
海外のヒット商品の輸入も積極的にとりくみます。アメリカのB・ホッチギスが作った書類どめを「ホッチキス」の名で売りだし、これは現在も使用されています。ドイツのイゾラ商店が発明したジャー (保温装置つき容器) を、魔法ビンと名づけたのも喜十郎が最初です。
「なに?このビンに入れたらさめへん?そんなあほな」
という客に彼は魔法ビンにかん酒を入れて、5時間たったら飲んでみな…と貸し与えます。
「ほんまや。ほんまに熱い」
客は手品師にあったような顔で喜十郎を見つめました。変わったところでは岐阜県出身の尾関治七に知恵を授け、独特の提灯(ちょうちん)を作らせます。これが名高い「岐阜提灯」です。
もちろん成功ばかりではありません。たとえば「コンニャク製水枕」、これは氷で冷やせば長時間持続して病人の頭を冷やすというふれこみでしたが、氷を入れたゴムの水枕のほうが役立つとあまり利用されませんでした。しかし今の「アイスノン」のはしりだといってもよいアイデアで、携帯にも便利、着眼点は大したものだと思います。
「ランプホヤ掃除器」も失敗でした。ホヤはランプの灯火をおおうガラス製の筒のことですが、すぐススで汚れてしまい掃除が大変です。それで簡単便利だと売りだしたのですが、すぐにランプは電燈にとって代わられ、無用の長物になってしまいます。
「卵を百産んで三つかえったら大成功や」
これが彼の信念でした。ですから大金と時間をかけ、結局泡のように消えてしまったアイデアも、数えきれないほどあります。成功と失敗は1枚の紙の表と裏でした。(続く)