伊藤喜十郎は文具業界に革命をもたらしたイトーキの創業者です。人は彼を発明王と呼びますが、無名の発明家を探しだし、企業化に成功した人物だといったほうが正確でしょう。
彼は安政2年(1855)高麗橋2丁目(現中央区)の質屋小野十右衛門の6男に生まれました。
明治9年(1876)三井銀行に入社し、ごく平凡なサラリーマンでしたが、同23年(1890)東京の上野で開かれた第3回国内博覧会の見物に出かけ、「特許品、専売品展示部門」の陳列品を見て、目をむきました。知らなかった実に便利な品物や、奇抜なアイデアが並んでいたのです。
「なんでこんなええもんが市場に出ないんやろ」
ふしぎに思った喜十郎は、日本で初めて金庫を製作し博覧会に出していた竹内善次郎という男を訪ねます。
善次郎は変人です。発明は大好きですが、それで商いをする気は全くありません。
「わしはな、どうしたら持主にはあけやすく、他人にはあけにくい入れ物ができるか、それを考えるだけが生きがいや。まあ世間さまとの知恵くらべじゃ」
と、木で鼻をくくったような返事をします。
「そやがあんた、発明は多くの人たちに利用されて、はじめて値うちがでるんやないか」
喜十郎がこうくいさがると、プイと横を向いてものをいいません。ははあ、発明家とはこういう連中か、そんならわしが商品化したろ…喜十郎は銀行をやめ、退職金で東京の木挽(こびき)町に小さな事務所を開き、各地に散在していた無名の発明家たちに声をかけます。
「あんたのアイデアを商品にさせてください。いや、金もうけやない。世の中に役立つ発明、人さまに喜ばれる仕事、これをしたいだけです」
彼はこのようにかきくどきましたが、発明といっても多種多様、しかもおしなべて偏屈な人ばかり。容易に軌道にのりません。アイデアの販売業など前代未聞、珍商売の時代でした。
それでも東奔西走するうちに、金庫(竹内善次郎)人造膀胱(ぼうこう・大河内善行)蝶々襟止(えりどめ・鈴木金太郎)謄写版(とうしゃばん・堀井新次郎)安全剃刀(かみそり・石田仁蔵・音三郎)らが参加します。(続く)