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2014年2月18日春団治〔初代〕 (五)

大正10年(1921)借金地獄のどん底にいた春団治に、救いの手をさしのべたのが吉本興業の女社長吉本せいです。無軌道な極楽トンボの春団治が、大阪の伝説的な落語家として今も名を残しているのは、せいのおかげです。
せいは月給5百円という破格の待遇で、春団治と専属契約を結びます。東京帝大出身の学士様の月給が50円也の時代です。そのかわり、花月倶楽部(くらぶ)、松島花月、福島竜虎館、南地花月などの吉本系列のコヤに、1日4回も出演させ、徹底的にこき使います。1回なんぼのギャラが常識の当時の芸能界で、月給制とはまことに珍しいシステムです。

中年頃の桂春団治

こうして春団治は立ち直りますが、目立ちたがりはいっこうにおさまらない。座ぶとんをくっつけたような派手な着物、20円金貨をぶらさげた金ピカの羽織のひも、金の懐中時計をみせびらかせるお得意のしぐさは変わりません。
女性関係もでたらめ。北新地のなじみの芸妓に住吉で「春団治茶屋」を開かせ2号に、3号は親子ほども年の違う若い娘で旅館を経営させ、自分は高津に本宅を構え、ああいそがし、3軒回らなあかんねんとうそぶきます。本宅には自分のために財産のすべてを失った元・道修町の薬種問屋女主人志うを住まわせ、彼女の好きな酒と肴を充分に与えて大事にします。
落語レコードの流行も、彼の懐を豊かにします。全国の落語家のレコードの売りあげナンバーワンは春団治、調子にのって「ものいうせんべい」なる奇想天外なレコードも出しています。これはせんべいに小ばなしを吹きこみ竹針をそえたもので、落語を聴いたあと食べられるのがミソ、ただし二回かけるとミゾが壊れて食べねばならず、世間を騒がせただけでした。
非常識ぶりも相変わらず。あれほど世話になった吉本に無断でJOBK(NHK大阪放送局。当時はラジオ)に出演します。吉本の幹部が怒ると、うるさいなあ、吉本やめまっさときました。じゃあやめろ、ただし借金は返せと吉本は、本宅ばかりか2号の茶屋、3号の旅館まで差し押さえます。まだ8千円の借金が残っていたからです。さしもの春団治も参りましたが、今度は口に証紙をはって高座に上がりました。
「吉本にはられましてん。そやから今日はなんもしゃべれまへん…」。(続く)